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2005年 09月 23日
<校内暴力>カッター見せ、椅子振りかざし キレる小学生
なんだか昨日書いたニート問題に続いて少々クドいですが、親が親らしくないということについては気になることがたくさんあるんです。リンクした記事にも書いてありますけどね。問題を起こす子どもの親が保護者会に出てこないので埒があかないとか、「家ではいい子」だと言って取り合わないとか。「問題がある」ということを指摘されても認めようとしない親は、子どもを守っているんじゃなくて、かわいい「自分」がそういう衝撃に耐えられないってことなんじゃないかと。 電車の中で騒いでいる子を注意したとき、「子どもなんて騒ぐのが仕事みたいなもんですからね!」と突っかかってきた親もいましたよ。親同士がおしゃべりに夢中で、全然子どもを見ていないので代わりに「危ないよ」と声をかけたんですけど。我が子の安全や社会性について案じるよりも、注意されると自分自身が否定されたみたいな気になって防衛(こういうのを逆ギレって言うんですか?)に出る親、よく見かけます。 以前サッカー場でも、後ろにいた6歳ぐらいの男の子が前の席(つまり私が座っているシート)を蹴り続けていたんです。背もたれはなく座面の後ろ側が通路より少し高くなっている形でしたが、その部分を規則的にガツンガツンと。競技場のシートは一本のパイプにたくさんの座席が固定してありますから、一つを蹴ると、同じ列の席全部に響くんですね。ほかの人たちもときどき忌々しげな視線をよこすけど誰も何も言わないので、私が振り返って「ここをトントンしないでね」と笑顔で注意すると、その子はハッとして自分の席に座り直したんです。 うん、感心だと思ったら、隣に座っていた父親らしき人が、「なに、どうしたの?」とその子に聞きました。「どうした」と聞かれても小さい子どもには説明のしようがないですから、「う〜ん」と言っただけでした。そしたら親は何度もしつこく「ねえ、どうしたの」。…急に騒ぎだしたならともかく、おとなしくなったものをそんなに詰問しなくてもよかろうに。サッカーを観にきたんじゃないのか。もう蹴るのはやめたんだし、それを告げ口するようなことはしたくなかったのでこっちも黙っていたら、一層声を荒げて「怒られたの!?」だと。怒られちゃいないから、なおさら子どもは答えに困って「う〜ん」ともじもじしてました。 ハーフタイムになって、ずっとおとなしくしていた男の子に「えらいね」とでも声をかけてやろうかと振り返ったら、その子もちょっと恥ずかしそうに笑みを返してきました。ところがその瞬間、やおら父親が立ち上がって「行こう、こんな席、ダメだ。ほかの席へ行こう」って、私の頭の上から吐き捨てるように言って席を移っていきました。驚くほどナイーブです。ああいう軟弱な親父に育てられてもちゃんと社会性が身に付くかどうかは、母親にかかっていますね。見たこともないその子の母に「頑張れ〜」とエールを送りたくなりました。 核家族化や少子化は子育てを難しくしている一因ではあるかもしれませんが、そのせいにしたところで何の解決にもなりません。社会が子育てに協力的でないという意見もよく聞きますが、そう考える人は本当に他人に協力を求めているんですかね。誰が変わればよくなるのか、簡単には言えない気がします。 「自分の子が人様に迷惑をかけるようなことがあったら、よその大人にも注意してほしい」と真剣に願っている親がどれぐらいいるのか、今度はそちらの統計も取っていただきたいと思います。 #
by spielfeld
| 2005-09-23 12:55
2005年 09月 22日
「ひとごとでない」が6割 ニート問題、母親に不安感
人というのは生まれたときから年をとり始めるんです。どんな小さな子どもだって、今日は昨日より大人になっているんです。昨日はできなかったことも今日はできるようになっているかもしれません。それなのに、主に健康な親たちが「うちの子はまだ小さいから」と言ってしつけらしいしつけもせず、その子自身のことさえ何も自分でさせようとしないのを見るにつけ、他人事ながら心配になります。この子はいつ「大きくなった」という扱いを受けるのか、と。 至れり尽くせりで、特に不満も不自由もないように育ててきて、その子が中学や高校を卒業する頃になっていきなり「もう十分大きくなったのに自分のことが自分で考えられない」と悩んでも後の祭りです。小学校の算数を教えていないのに、さあ受験だから高度な数式も解けなければ、と言っても、それは無理というもの。同じように、大人になる訓練は幼児のときから少しずつ始めていなければ、自立せねばならない年頃の子にとって解決できない問題となります。 保護されるばかりで生きてきて、世の役に立つことが突然できるはずないし、正しい意味での自信もない。労働意欲が湧かないのも当然です。また、働くことの大切さを我が子にちゃんと教えることができなかった親は、親自身が労働はお金のためとしか思っていない傾向があるようにも感じます。そういうなかで、いま以上にお金がほしいとは思わない子が、苦労してまで働きたくないというのは、むしろまともな感覚だと思います。 “人”が“動く”と書く「働」という字は大陸から渡ってきたものですが、それ以前から伝わるいにしえの大和言葉の「はたらく」とは、「“はた(他人)”を“らく”にする」というのが本来の意味だそうです。いい言葉、いい心がけですよね。そういう行いの尊さとか、それが自分の人生を本当の意味で豊かにするのだと教えずに、ただ自分の労苦と引き換えに金を稼ぐこととか、それ以上に個人の権利とか他人より楽をすることばかりを親や社会が強調し続けるなら、ニートを減らすことは非常に難しいことだと言わざるを得ません。 ーーーーー(特に気になるのは、この、記事の後半部分)ーーーーー 「誰がニート対策をすべきかとの質問には、親、家族など肉親を挙げる答えが多かった。しかし、ニートは「ひとごとではない」と感じる母親は、「ひとごと」と感じる母親に比べ、学校(52・9%)や国(52・1%)、企業(46・3%)にも対策を求める声が10ポイント程度高かった。」 #
by spielfeld
| 2005-09-22 12:51
2005年 09月 20日
「うちの子はどうも個性が乏しくて」と、あるサッカー少年のお母さんが言いました。「そんなことないですよ。Mくんは十分個性的です」と私は自分が見たままの率直な感想を述べましたが、彼女は「そう言って慰めていただけるのはありがたいですけど、親の欲目で見ても、何をやってもパッとしない子だなぁと思いますよ」と聞き入れそうにありません。
地味であることと個性がないこととはまったく別ですが、お母さんは以前、Mくんの担任の先生が通知表に書いてきたという、「何事もマイペースで取り組んでいます。もう少し個性が出てくるといいですね」とかいう評価も引っかかっているようでした。…先生もおかしなことを言う。「マイペース」で「個性が出てない」とはこれいかに…? 私の疑問をよそに彼女は言葉を続けます。「それで、何か好きなことはないの?って聞いたら、サッカーって。そう言うからクラブに入れたのに、このとおりですもんね」 私たちが子どもの頃に比べれば、「何よりもまず勉強しろ」というような親は少なくなったと思います。「個性尊重」という号令のもと、勉強以外にも選択肢が広がったことは、子どもたちにとって喜ばしいことでしょう。普通の家庭の子どもたちが通うお稽古ごとの種類も、昔では考えられないぐらい豊富になりました。しかしながらMくんのお母さんのように、早く我が子の才能を見いだそうと躍起になることは、言葉としては死語となった「教育ママゴン」の教育方針と本質的に同じものだと感じました。 「たとえばHくんと比べて、どう思います?」と彼女は私に尋ねました。Hくんは5年生にしては背が高く、運動能力も発達しています。すでに6年生に混じって試合に出てもエースと呼べるストライカーです。「同じ年なのにずいぶん差があることは、いくら私が親バカでもわかりますよぉ」と、彼女は私が何も言わないうちに自分で答えました。まあそのとおりなんですが、それは彼女が最初に切り出した「個性が乏しい」ということと全然関係ありません。むしろ、そういう差があることが個性の証明ではないでしょうか。 「Mくんは自分のやり方でサッカーに取り組んでいますよ。とても個性的に。たとえMくんがHくんと同じようになっても、それはMくんの個性にはなりませんよ」とひと言返すと、Mくんのお母さんはがっかりしたように「やっぱり、ほかのことをさせたほうがいいかしら」とため息をつきました。「もしMくんが、練習すればHくんと同じようになれると思ってやっているなら、確かにそれは無駄な努力になるかもしれませんね」と答えると、彼女は悲しげな微笑みを浮かべて私の顔を見ました。「でもたぶん、MくんはHくんになりたいんじゃないと思いますよ。Mくんはまったく別の個性を持ったサッカー少年ですから。背が伸びる時期も違うだろうし、プレーの質も成長過程も違います。少なくとも私が監督なら、彼をHくんと比較するようなもったいないことをする気にはなりませんけどね」 もし今時の教育熱心な親にとって、常によその子と比べて優れているものとか、親を喜ばせるような才能の具現、何かで一番になって見せることが「個性」なのだとしたら、子どもにかかるプレッシャーは「勉強しなさい」と言われ続ける以上のものがあります。なまじ選択肢があるために「あれもダメだった、これもダメだった」と「ダメ」の数ばかり数え上げられかねません。こういう親は少数派だと信じたいですが、「人と比べてどうとか言ってるうちは個性なんか見つかるわけがないぞ!」と、声を大にして言いたくなったピッチサイドのひとコマでした。 #
by spielfeld
| 2005-09-20 21:32
2005年 09月 18日
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by spielfeld
| 2005-09-18 23:22
2005年 09月 18日
大宮アルディージャ vs ジェフ千葉
アルディージャはジェフが苦手とするタイプのチームですが、第17節に臨海で対戦したときは、いくつもチャンスを作りながら、結局は決定力の差でジェフにねじ伏せられています。戦術マニアの三浦監督のこと、前回の敗戦を糧にしてまた奇策を練ってくるんだろうなぁと、わくわくしながら大宮サッカー場へ向かいました。 スペクタクルではなかったけれど、興味深い試合でした。 #
by spielfeld
| 2005-09-18 18:17
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